島藍農園は、沖縄本島の更に南の石垣島にある、藍染工房です。
私たちの作業は、島の恵まれた自然の中で、
マメ科の藍植物「ナンバンコマツナギ(南蛮駒繋)」を育てることから始まります。


夏場は収穫と原料加工を行い、沈殿藍を製造します。
作り貯めた沈殿藍を使い、通年通して染め作業を行なっています。
この収穫期は台風が多く襲来する季節でもあり、その影響で収量が少なくなる年もあります。
自然と共に一喜一憂しながら、染めてつくる日々なのです。

さて、ここからは少し昔話を。

代表の大濵が帰郷した1998年頃には、島の藍染はほぼ途絶えた状態でした。

元々、八重山は織物が盛んな地域で、藍染やその他植物染料は、糸を染める為の材料でした。また、全工程一人で行う事が基本となる為、染物を生業とする者は、そもそも存在していませんでした。
そんな中でも、一部の機織りをする方々は、畑の隅や庭先に木藍を植えたりして、少しずつ沈殿藍を作り溜め、年に1〜2回は藍を建て、糸を染めていました。
しかし、薬品を使った簡易藍染めキットが出回り、その結果、衰退が加速したように見受けられます。

沖縄本島北部で栽培されている「琉球藍」のように、行政が保護・支援し、幅広く周知されていなかったからか、消えゆくのも時間がかからなかったようです。

【名称について】
今でもほぼ知られていない八重山の藍は、ある頃から「インド藍」と呼ばれるようになっていました。「インド藍」とは、インドから輸入されている藍染の染料名(商品名)。いつの間にか植物名とも混同され植物図鑑などでも紹介されています。このような間違いをちゃんと正さなければ、輸入されている染料を使用していることと混同されてしまい、この島々で古くから伝わる藍染の価値を下げてしまうことになるのでは!?という心配から、地域の染色従事者たちと議論し、地域名称として、
この先しっかりと盛り上げていく為に「八重山藍」という名称が生まれました。

「八重山藍」については、こちらから詳細をどうぞ!


この先は代表の大濵の紹介です。


株式会社島藍農園
代表取締役 大濵 豪(おおはま つよし)
1972年石垣市生まれ

幼少期より、祖母や母が携わる「ミンサー織」を身近に育つ。
小学校卒業後島を離れ、長崎・東京で中学・高校時代を過ごし、京都の短大で染織を学んだ後、26歳で帰島。
「ここでしか出来ないものづくり」を模索しつつ、島の様々な天然繊維や天然染料に触れる中で、ほぼ途絶えかけていた島の藍染めを盛り上げようと、2002年に畑を入手して、小さいながら栽培から一貫して行う藍染め工房「島藍農園」を開園。

電気すら無い、小さな畑小屋で少しずつ工夫し、「一生やり続けること」を念頭に、コツコツ細々と続け20年。未だに暗中模索から抜け出せていない状況ですが、日々盛り沢山の作業を楽しみつつ、精進しております。

「人が人らしくある為に、藍染(藍色)が必要である。」

という仮説を勝手に立て、それを生涯通して立証することが現在の目標。

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